こんにちは。
里稀(りき)です。
いやぁ、寒いですねぇ。
私のところの現在の気温は、只今-5℃です。
それでも、まだマシなほうなんです。
私は、あんまりにも面長なキャラというのを描いたことがなかったので、それだけでも大変でした。
前回の鶴丸同様、コスチュームを着せてません。
「アタシ、腐ってなんかいないもーん」と真面目に思ってますけど、いよいよ怪しいかも知れません(笑)。
こちらが、初三日月になります。
ブログにWikipediaは、邪道かも知れないですが、自分の言葉に置き換えてみても、Wikipedia以上のことは書けないので、今回もお恥ずかしながら引用させて頂くとします。
《三日月宗近》
三日月宗近(みかづきむねちか)は、平安時代に作られたとされる日本刀(太刀)である。天下五剣の一つ。日本の国宝に指定されており、東京国立博物館所蔵。
国宝指定名称は「太刀 銘三条(名物三日月宗近)
」(たち めい さんじょう めいぶつみかづきむねちか)で、附指定は「附 糸巻太刀拵鞘」(つけたり いとまきたちこしらえさや)である。
概要
刀工および名前の由来
平安時代の刀工・三条宗近の作で、直刀から刀身に鎬と反りのある形式の日本刀へ変化する時期の古い時代の作品である。制作年代については諸説あるが、古伝書の伝える一条天皇の治世の10世紀後半から11世紀前半(986年~1011年)もしくは12世紀ごろの作とみるのが一般的である。室町時代に編纂された刀剣書である「長享銘盡」には、以下のように記述されている。
このことから、遅くとも室町中期(1489年)には、「三条宗近作の三日月という太刀」が人々に知られていたと判断することができる。「天下五剣」の中でも最も美しいとも評され、「名物中の名物」とも呼び慣わされた。三日月宗近の名前の由来は、刀身に三日月形の打除け(うちのけ、刃文の一種)が数多くみられることによるものとされる。
恵勝寺合戦
1527年(大永7年)に権大納言日野内光が恵勝寺合戦で戦死した際に、当時“五阿弥切り”とよばれていた本作で奮戦したとされる。その後、日野内光の菩提を弔うため、友軍だった畠山卜山が本作を高野山に納めたということが徳川家の記録にあるというが、徳川将軍家の「御腰物台帳」には記されていない。また、畠山卜山とは畠山尚順のことであるが、尚順は内光が戦死する5年前にあたる1522年(大永2年)7月17日に病死しているため、卜山による三日月宗近奉納説は成立しないとされている。
永禄の変
また、永禄の変で足利義輝が襲撃してきた三好三人衆・松永久通の軍に対し、将軍家に代々継承される刀を畳に突き刺し奮戦したという説が流布されているが、義輝の武勇伝が確認できる史料「足利季世紀」「永祿記」には「利刀」を突き刺したとあり名刀とは記されておらず三日月宗近も登場しない。さらに、永禄の変から最も近い時期に記されたルイス・フロイスの『日本史』には「幾多の刀を取り替えて奮戦した」などとは一切書いておらず、「名刀を使用して戦った」という部分から疑問視されるものである。足利義昭から羽柴秀吉に下賜された、という伝来もあるが、こちらも史料による裏付けはない。
『享保名物帳』には、尼子氏の家臣で忠義の逸話で知られる山中鹿之介(山中幸盛)が一時佩用していたという伝承、また高台院の従者で似名の「山中鹿之助」なるものが与えられて佩用していたという伝承があるが伝承の枠を出ない。現存する鞘には桐と菊の金蒔絵があり、金具にはすべて三日月・雲・桐などの色絵が施されている。刀剣研究家の福永酔剣は著書『日本刀大百科事典』にて、鹿之助は三日月を信仰し武具にも三日月をあしらったといわれることから、鹿之助が佩用していたという伝承が正しいとすれば、この拵えは鹿之助が作らせたことも考えられると指摘している。
江戸時代
上記までの伝来については諸説あり、高台院所持以前の伝来については確定しておらず確かな史料も少ない。三日月宗近の伝来として確実であるのは、豊臣秀吉の正室高台院が所持しており、高台院が死去したのちに1624年(寛永元年)に遺品として徳川秀忠に贈られ、以来徳川将軍家の所蔵となってからである。なお、江戸時代初期の三日月宗近の押形が埋忠家の「埋忠銘鑑」(1917年(大正6年)刊行)に記載されているが、それには樋があり、銘も太刀銘で茎の中ほどにあり、目釘孔の位置も、現在“三日月宗近”として東京国立博物館に所蔵されているものと異なっている。
近現代
明治維新以降も徳川将軍家に伝来しており、将軍家の重宝として丁重に保管されていた。1929年(昭和4年)の時点で実際に三日月宗近を観賞できた者は限られており、当時の所有者であった徳川家16代家達を除けば、宮内省御用係として御物の管理を任されていた松平頼平、宮内大臣の一木喜徳郎、犬養毅、ほか1、2名だったといわれている。1933年(昭和8年)1月23日付で徳川家達公爵名義にて国宝保存法に基づく旧国宝(現在の重要文化財)に指定される。
その後、時期は不明ながら徳川将軍家から流出し、中島飛行機(現在のSUBARU)の2代目社長である中島喜代一、ついで“特殊鋼開発の父”として知られる渡邊三郎の手に渡ったことが知られている。しかし、徳川将軍家流出後の伝来については諸説あり、終戦後に徳川将軍家から金融業者を経て渡邉の許へ渡ったとする説や、1937年(昭和12年)頃、当時本作を所有していた中島に対して、「勉強が終わったら三日月宗近を譲って欲しい」と話を持ちかけた渡邉の熱意に根負けして中島が譲ったという説、1946年(昭和21年)に新宿にある骨董屋にて、本作が二束三文で売り払われているのを渡邉が偶然発見して購入したという説もある。
その後、1951年(昭和26年)6月9日付で渡辺の息子・誠一郎名義にて文化財保護法に基づく国宝に指定されている。1992年(平成4年)11月、誠一郎は父の遺志を汲んで亀甲貞宗や鳴狐なども含む12振の名刀とともに東京国立博物館に寄贈し同館の所蔵となる。機関管理番号はF-20103。なお、誠一郎は寄贈の際に旅立ちを祝し、長唄『小鍛冶』を流して家族と共に三日月宗近を見送った。
作風
刀身
刃長二尺六寸四分(約80.0センチメートル)、反り九分(約2.7センチメートル)。細身で反りが高く(反りが大きい)、踏ん張りの強い(刀身の鍔元の幅が広く、切先の幅が狭く、その差が大きいこと)極めて優美な太刀である。地鉄は小板目肌がよく約(つ)み、ところどころ大肌まじり、地沸が厚くつき、地景入る。刃文は小乱れ主体で小足入り、小沸つき、匂口深く、三日月形の打のけがしきりに入る。中ほどから上は二重刃、三重刃となり、帽子も二重刃となって先は小丸ごころに返る。茎(なかご、柄に収まる手に持つ部分)は生ぶで雉子股(きじもも)形となる。通常の太刀と異なり、佩表でなく佩裏に銘(「三条」二字銘)を切る。
以下は引用である。
俗にいふ『天下五口の太刀』―鬼丸國綱、童子切安綱、三池大傳太、實丸經次のうへに立って、天下随一と稱される名刀が、三日月宗近の一口。三條小鍛冶の名と共に、獨り刀劍の覇を稱へて居りながら、かつて世間に姿を見せたことのない業物である。刀身が二尺六寸四分、氷柱のような秋水の冴え、鮮やかなる燒刄の匂ひ、ともに他の覬覦をゆるさぬ。…(中略)その陽の下を、光芒、水の滴る如くにいよいよ冴えて、歴史と傳説を綴りこんで來た、刀壽千年、その奇しき姿である。…二尺六寸四分の業物、この尖先から少しさがったところに、閃々たる大亂れのうちから、美しき地肌のうへに飾って、利鎌のような三日月の形、恰も亂雲をかって獨り皎々たるたる趣、これがはっきり窺はれるのも、巨匠一代、驚くべき腕の冴えではあるまいか。宗近に三日月の三字を冠らせられたのも、この所以からである。燒刄のほごれといふものゝ、作らんとして作れぬもの。名匠この刀身に、魂を鍛え入れてこそ、始めて求められるものだといふ。…ことに、この三日月宗近の一口に、他の追随をゆるさぬ、それに二つの驚きがある。それはこの刀が千年の歴史を持ちながら、その瑠璃色の如き肌のうへに、一點の汚れと染みもないことである。このやうなことは、全く奇蹟の現はれだといはれている。それからもう一つは、神秘的威厳といってもよいぐらひの、宗近のみが持つ刀の上品さがあることである。
— 讀賣新聞社著、『日本名寶物語』、(誠文堂出版、1929年)
外装
附属品として金具のいくつかが欠損した金梨地菊桐紋蒔絵糸巻太刀拵の鞘部分のみが現存しているが、この拵えは安土桃山時代以降に作られたもので、それ以前にどのような拵に収められていたかは不明である。
松平定信によって編纂された『集古十種』には、「河内國愛宕山蔵小鍛治宗近太刀圖」として、総長三尺六寸二分(約109.7cm)、柄長七寸二分(約21.8cm)の黒漆塗(鞘部のみは青漆掛け)黄色糸巻、赤革の帯取に八尺(約242.2cm)の鼠色の太刀緒を通した革包太刀の拵えが記載されており、文献によってはこれが三日月宗近の拵とされていることがあるが、この拵えに収められていたことを確定的に示す史料はない。
(Wikipediaより)
と、以上です。
1000~1030歳の自分でも言っている最古参の「じじい」です。
この前、鶴丸国永を1050歳と明記してしまいましたが誤りです。
申し訳ありませんでした_(_^_)_
私は、今はちょうど途切れていますが、ゲームもちょこちょこやるんですけれど、(ここでも言おう、モンハンでの私の愛器はハンマーじゃ!)、モバイルゲームと言うんですか?、ビデオゲームという呼び方もあるみたいですが、その類いのゲームはプレイしません。
なので、純粋なとうらぶ (刀剣乱舞)ファンよりも何かとずっと無知です。
この辺りの溝は、埋めようがなく仕方がないと思っています。
取り敢えず、次に描く時は、コスチュームを忘れずに、ですね。
着彩についても、忘れていたことがありまして、youtubeで厚塗りの方が、「髪の毛には毛筆水彩を"信じて"使っている」とおっしゃっていたんです。
やっと昨日、ダウンロードして使用してみました。
結構、いつもよりは良い感じに塗れているのではないかと思っていますが。
三日月宗近は、素人目にも美しい刀です。
「国宝」「天下五剣(てんがごけん」)の一振り」と、響きもまた良いですよね。
それでは、そのうちにまた。
最後まで、目を通して頂きありがとうございました。